昭和51年06月23日 朝の御理解



 御理解 第31節
 「信心する者は、木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ。

 全てのことにお礼が言えれる信心、大変みやすいようで大変難しいと思います。本当にそれこそ匹夫の凡人から道を開くのであるから、本当教祖の教えられますように、何にも分からん凡人凡夫の私共が、全ての事にお礼が言えれるような、心にならせて頂こうというのですから、やはり時間がかかる。けれどもそれを辛抱しておかげを頂いて行く内に、身に徳がつくと仰るように、いわば肉眼を置いて心眼を開けと仰るように、そういう辛抱を重ねて行く内に、本当な事がだんだん分かってくる。
 いわば肉眼を置いて心眼を開かせて頂く事になって参ります時に、初めて言えれるのが、この木の切り株に腰をおろしても、立つ時には礼をいう心持が自ずと生まれてくるんだと思うんですよ。その言にはお礼が言えれるけれども、この言にはお礼が言えんと言ったようなものではない。その事もこのことにも例えば事柄一つでもです、あの人にはお礼が言えれるけれども、この人にはお礼が言えれんというのじゃないです。もちろん係わり合いがあってくるところから生じてくるのです。例えば人間関係でもそうです。
 あれは自分を可愛がってもらったからお礼が言えれる。あれは私にいつも皮肉をしたり私を憎んだから、あれにはお礼が言えないと言う事では、今日のこの御理解は分かっとらんとと同じ事です。あれには礼が言えれるけれども、これにはお礼が言えない、いやむしろその例えば相手が人間である、その人にこそお礼をいう心持が生まれなけなきゃならない。その人のおかげで分からせられた磨かせられた、修行させて頂いたのですから、木の切り株に腰をおろしても、いらん物のように思うけれども。
 それにこそお礼が言えれる心が生まれて来た時初めてね、一切の物にお礼が言えれる。立つ時には礼をいう心持が、生まれて来るのじゃないでしょうかね。ですから私はここの御理解は、はぁ金光様の信心なんでんかんでんお礼ば言いやよか、もう下駄んでんお礼ば言う、着物んでも一切の物にお礼ば言やぁ良い、なるほどそうですけれども、いわゆる木の切り株にでもと言う事ですから。やはり心眼を開かせてもらう程しのおかげ、それこそ悲しいまでに凡人我と言う事がです。
 分からん言とは言いながら煩情一杯であるがゆえに、お礼をいわなければならないところにもお礼が言えず、辛抱しなければならない所にも辛抱が出来ず。本当に相済まん事にばっかりなっておると言う様な事に気が付きます。教祖様もやはり人間三代金光様もやはり人間、それでもですやはり泣く泣く辛抱しいしいにと仰せられる、中には随分とのご修行があった事だと思います。私は今朝かしいやら悲しいやらと言った様な、それこそ明情しようのないような気持ちで今朝、ご祈念に入らせて頂いたんですけれども。
 今朝目覚ましのおかげを頂いたのが、三時五分であった。いつも3時15分に起きるんです。ところが今日はもうとにかく、もう小便に立とうごとして堪えんで目が覚めたんです。まぁ10分休まれるからもう10分辛抱しようと思うたけれども、もう辛抱がされん位にあるもんですから、まだ3時まぁ10分早いけれども起こして頂いた。
 まぁ用を足させて頂いて、5分間かかったとして3時10分にある、もうところがそのそんな訳で、その有り難い目覚ましじゃないもんですからね、目が痛いようにある。だからもう5分間あるからと思うて、そのまま顔を洗えばよいのに、また布団の中に入ってしまった。まぁそん時の気持ちが素晴らしいですね、その5分間の気持ちと言うのは。あんまり素晴らしいもんじゃから、またうとうととして目が覚めた時にはもう、5分間過ぎておるというのです。
 もう本当に凡人我と言う事を思いますよ。その5分5分間眠ら、どこん眠る時間はない。だからそれが長くなるその間に、ぱちっと目が覚めるようなおかげを頂きたいと言う訳でしょうけれどもです、そこが凡人です。もう本当にそこの5分間が気持ちよくてまた、もう一辺休ませて頂けるというので、またその気持ち良くなってうとうととした時には、もう5分間過ぎておる。
 昨日は田主丸のむつやの謝恩祭でしたから、用意をさせて頂いて車を待っとりますところへ、あぁそのまっとる間をちょっとテレビを、あの見せてもらっとりましたら、なんでしょうか遠山の金さんというのがあってました。そこにあのあれは玉川良一というですかね、ちょっととぼけたような感じの、浪花節上がりと言う事ですが、あの人がまぁ三枚目の役人をしておる場面でした。ある有名な名うてのその泥棒が捕まった。島送りになる5年間の島送りにならねばならない。
 ところが彼には綺麗な娘さんがおる。そこで八方手をいろいろ尽くさせてもろうて、5年の刑のところを4年にしてやったというのです。その父親が島送りになっとる間も何かにと心を使うて、娘の面倒をまぁ見てやる訳です。もちろん下心があっての事です。4年経って島から帰ってまいります。親父が帰って来たなら、その親父に相談をしてやって、まぁいうならば、恩きせるわけじゃないけれども、お前が一年の刑を、5年の刑を4年で済ませてやった事も。
 お前の留守中は娘をこうやって面倒見てやった事もいうて、そして娘をまぁ自分の女房にしたいというのでありましたけれども、娘が十九になります。その19の娘には植木職人の何とかという恋人がおったと言う訳です。そこで玉川良一扮するところの、その役人が大変残念がって腹を立てるところがございます。もうそこまででしたから先は遠山の金さんが現れて、結局その玉川良一がこっぴどくやられる所でしょうそれから先は。
 けれども私はその玉川良一扮するところのその役人というのが、役者の人柄というかなんかそのとぼけた感じですねあの人は、でもちろん三枚目を演じておる訳ですけれども、私はもうそれば見よってね、玉川良一その人その役人が可愛そうで可愛そうでたまらじゃったです。あれが悪いほんとに悪い役人ならば、もう親父がおらないうちに、言うなら娘を手篭めにするとか、なんとかと言う言じゃろうと思うけれども、親父が帰ってくるのを待っとってです、そしてその間何くれとなしに世話を焼いてやっとるんです。
 何とか奔走して5年の刑のところを4年にしてやっとるんです。そしてその親父にいうなら帰って来てその相談をして、正式にいわば貰おうというわけなんです。もう自分なもらえるもんとこう当てしておった訳です。ところがそれこそなんとかいう鳶にさらわれたと言った様な感じなんです。恐らくその筋は遠山の金さんが、その娘にその恋人と添わせてやって、そしてその玉川良一扮するところのその役人が、まぁやられるところであろうとそれまでには、いろいろなならしてはならない事を。
 いやその役風を吹かせて、しておる様な事やらがまぁ摘発されて、そして困った結果になっていくのだろうと思うです。けれども本当に人間ですから、煩情を持ってる私どもですから、当然の私はその玉川良一扮する役人のした事、又は言うた事思った事は、人間としてもう当たり前の事だという風に思うです。信心させて頂いておってもやっぱそうです。親先生だからとにかく、ただあの人とは違うと言った様な事は絶対ないです。そりゃ教祖様だって同じだと思うです。
 私どんが生き神様として仰がせて頂いた、三代様だってそうだったに違いないと思うです。だからこの天地乃親神様という方はね、それをおまやぁあんとき辛抱しきらじゃったから、おまやぁあん時あんな事をしたから、とそれをとっちめて決め付けるような神様では、決してないという事です。匹夫の凡人匹夫の凡夫から道を開くのであるから、始めの間はなかなか難しい、その難しいと言う所がです、いうならば一歩一歩人間から言うなら生神を目指して進ませて頂く過程においてはです。
 それこそ私のようなものがと言う事を、本当にはっきり感じさせて頂けれる時期だと思うです。昨日の私はむつやの御祭りを奉仕させて頂きながら、一年一年中心である信司さんの信心も進んでいき、一年一年有り難いお祭りがでけていくようになり、昨日の御祭りを頂いて感じた事はこれから芽が出るな、そんな感じでした。本当にあそこ三十六畳ですかの、お広間にそれこそ教会のような大きな神前がしつらえてございます。
 ほりゃもうほんとにあの見事です。お道具なんかももう最高の物をしてしとりますから、もう本当に見事なお祭りです。お祭りが仕えよいです。それは仕えよいというのはね、あの心でいう仕えよいというのじゃ、形の上でです。おっせがっせせんでよかです。とゆったりといわば36畳一杯の参拝者、また4人の斎員の先生方がゆったりと座れるというわけなんです。もうそれこそ堂々としたお宅祭りでした。
 いつもの事ですけれども、ならその中に感じるものはです、なにかと言うとこれから芽が出るなそんなな感じでした。私が信司郎さんに言う事はもうどう言う言かというと、信司さん大きくなる以外にないばい、あんたが汚かけんよもうこれ二言ですからね、信司さんに私があのここでお話しする時には、どういうそれこそ涙の出るような難儀な問題が起こっておってもです、信司さんあんたが大きくなる以外にないよ、さぁ所が中々生身を持っておる凡夫ですから、我情もありゃ我欲もあると言う事なんです。
 その我情が我欲がです、言うならもうそれこそ問題をここにお届けをされる時に、あんたが細かけんばい、大きゅうなる以外にないよ、あんたが汚かけんそう言う事になるよ、美しゅうなる以外にないよ、もうそれこそ顔から血の気が引くように、真っ白になる様な事がありますよ。けども私はこの人だけには、この二つ言だけしか言いませんです。それはどう言う事かと言うとです、大きくならせて頂けばお礼が言えれる、美しゅうならせて頂けばお礼を言わにゃおられん。
 それはどう言う事の場合であっても、木の切り株に腰をおろしても、立つ時には礼をいう心持ち、ただ自分の都合のよか事だけに、お礼をいうというのではこの、この31節の真理と言う言にはならんのです。ただ自分の都合のよか時だけなら誰だってお礼を言いますよね。今朝からのなら私のまぁ失敗とも、又は煩情いっぱいの私であると言う事も例えばこう聞いて頂いてです、ならまだ若いみそらでいうなら、あれだけの店の社長としてです、それこそ四苦八苦しながらやっていかせて頂いておるのですから。
 自分の気分気持ち一つではもう治まらない、支える事のでけ無い苦しい時がありましょう。よしそんならその事をお願いするばい、そして慰めの例えば話でも聞かせて頂きゃ、まぁまぁと胸をなでおろす事もあろうけれども、慰めとかねほんなこてじゃんのと言うて同情するのではなくて、結局はあんたが汚かけんよと、あんたが小さいからよと、大きゆうなる以外にない、美しゅう限りなくなる以外にはない。それこそまぁ私は泣く泣く辛抱しいしいというところではなかろうかと思うです。
 そして段々分からして頂く事は、ほんな事やっぱ自分は汚いけんというては、少しでも美しゅうなる事に精進する。ほんなこと自分がこまい証拠というては、大きゅうなる心にならしてもらう、そういう私は過程というものがです、私は尊いんだと思います。でないと昨日からもうなら頂きますように、慢心が出るとおかげを取り外すぞと、慢心というのは、昨日の御理解の中に皆さんに聞いて頂いたように、ほんなこて折角信心するなら、慢心が出るくらいなおかげをいっちょ頂いてみれとこういうのです。
 それこそ夢にも思わなかったようなごひれいとおかげを頂いて、自慢するまいと思うけれども、神様の御働きをいわば人にも伝え話さなければおられない、話しておる内には、ちらちっらと自分の信心の自慢も出てくる。出さなければおられない、くらいなおかげを頂かにゃいかんけれども、慢心が出るとおかげを取り外すと言う様な慢心とは、おかげを受けておっても、おかげをおかげと感じきれなくなった時が慢心なんです。自分の都合が良い自分が具合ようやったから、このおかげを頂いたというのじゃなくて。
 私はやっぱ腑がようしてやったとった言った様な事、神様のおかげを実感しながらも、その実感が段々薄らいで、そして神のおかげをおかげともないがしろにするようになったときが危ないのです。人間というものはすぐそういう心が出ます。私高橋さんにいつも申します。さぁ一辺にお店が十軒にもなった。従業人が百人も使わして頂くようになった。あの店では、黒字だけれどもこの店では赤字と言った様な、結局総締めにしてみると、毎年赤字の方が増えておる。
 まぁ言うならこれほど信心するのに、どうしてじゃろうかと言う風に思いもしょうけれども、その赤字時代にこそです、一切の事にお礼の言えれる信心を身に付けさせて頂いとかなければいけんばい、信司さん例えばそれこそお願いをすりゃ、あんたが汚かけんばい、お願いをすりゃあんたが大きくなる以外にないばい、と言われる期間が長ければ長いほど、ほんに言われてみれば自分が汚いからだ、自分の信心が小さいから心が小さいからだと、言う言から美しゅうなる事に精進し。
 大きくならせて頂く事に精進させて頂いて、そしてあれにもおかげが言えれる、これにもおかげが言えれるように、木の切り株に腰をおろしても、立つ時には礼を言う様な心持になると言う事なんだ。が生まれて来た時に頂くおかげであって、初めてですおかげをおかげと感じさせて貰い、頂いておるおかげを、おかげというならば慢心を、おかげを取り落とす程しの慢心にならないと言う事です。
 その期間が素晴らしいのでしょうが。赤字時代こそ難儀な時代こそが実は尊いのです。だからその時代に本当の信心させてもろうて、木の切り株に腰をおろしても立つ時には礼をいう心持ちになれよ。私先日菊栄会の晩に新館あの新2階に、父の日に頂いておるあの、養素という額を頂いて、それを書いた人が大正時代の大変有名な絵描きさんで、拝山という人が書いておる。人間のいわゆるおかげの受けられる受け物、養素といよいよ心を美しゅうする、いよいよ心を広う大きくする。
 大きなおかげの受け物を作る養素というのは、様々ありましょう。心を豊かにする、御理解御教えを頂いて、それこそ有り難いお話しを頂いて、有り難うならして頂くと言う事もですけれども、一番最高に養う元になるおかげの受け物の元になるのは、拝山だという御理解、山を拝むと言う言である。今日言う自分に都合の良い事は拝むけれども、自分に都合の悪い苦労な事、言うならそれをお道では苦労とは言わず、修行というかその修行そのものを、拝む心にならせて頂くことこそ、おかげに受け物の養素である。
 いよいよ心を豊かに美しゅう、大きくしていく養素である。それは拝む言であると言う事を、目の当たりに見たり聞いたりしてもらおうと思うて、菊栄会の方達に2階に上がってもろうて私の話しを聞いてもろうた。その後にです高橋さんが言われるのに、ほんにそげん言われりゃ先生、私の部屋にあがっとる額も、ありゃ拝山の描いた絵ですよ、といういわけなんです。なるほど小さい額があがっとるです。ほんなことあぁありゃほんにやっぱ拝山じゃ。
 しかも書いてあるのがなにかというと、それこそ夜目のも白く見えるような、満月の月を背景に大きく、そして白梅が描いてある。そしてサインがいうならば拝山とある。いやほんなこつそうのと言うた事じゃでした。もちろん梅といえば信心辛抱と言われる。信心辛抱梅の花、やがて鶯が来て止まるまでの辛抱ぞと。それが実が稔りそれが梅干ともならして頂くまでが辛抱ぞと。どういうもぁ歯を食いしばらなければならない様な時であっても、いうならば昼を欺く様な満月の心であれよと言う事を。
 神様はもう前々から高橋さんに言うておられたような感じがする。今度私の奉の額を頂いて初めて、高橋さんもいやぁ本当にこれを眺めておけば、神の声をそこに聞く思いがすると言う言であります。もう額いっぱいにですこれくらいばかり小さい額です。いっぱいにあのお月様朧月がこう出て丸く、それに夜目にも白々しく見える様な、白梅の絵が描いてあります。どんな時であってもこの満月の心を忘れて、いわゆる和賀心を忘れるなよと、それこそ拝んで受けていけよという、神の声をそこに聞くような思いがする。
 だからそれがそうして、満月のような心で受けられるまでの間にです、もう本当に自分が欲が深いもんだから、我情我欲が強いもんだから、自分が小さい心の持ち主だもんだから、だからこんな問題が起こるんだ、だからこんなに苦しいんだ、この事にお礼が言えれるけれども、この言にはお礼をいう気持ちが起こらない、だから今日の31節はどういう、あの言にもこの言にもあれにもこれにも、お礼が言えれる心持になれよと。そういう心持にならして頂く信心になれよと言う事だと私は思います。
 その間にはです様々な失敗もありましょう。けどもその失敗をです、なら神様は責めなさるような方ではない。もう本当に親先生は毎朝毎朝、それこそ朝の3時15五分には、もう、有り難ぁく目覚ましのおかげを頂いて、目の覚めたとたんに今日もお生かしのおかげを頂いて有り難うございます、というて毎日毎日お礼が言えよんなさるじゃろうごとあるけれども、言うなら決してそう言う事ばかりではないと言う事。もう汚い汚いたった5分間を惜しんで、また床の中に入るような時もあると言う事。
 そういう心の状態をいくらかでも少なくしていく、いくらかでもより有り難い事にならせて頂こうというところに、精進があるのです。私は31節をこりゃ大体みやすう頂けばです、それこそもうなんでんお礼ば言うて、拍手打ってそれこそ下駄んでも、自動車んでも、お礼を言わせて頂く、そういう心がけにならなきゃいけんよと、はぁすと金光様の信心な、そりゃみやすい事だと言う事になりますけれども、本当におかげが受けられる、心の目を開かせて頂けれる程しの、その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃという。
 それは私共は生身を持っておる凡夫だからです。遠山の金さんに現れてくる玉川良一の役柄を、もし私があの中の人物であったら、私もやっぱりあの通りではなかったろうかと思うのです。そういう人間が少しでもなら、神様へ向かって進ませて頂こうという精進であってみればです、心をそこに焦点を置いての信心であるならばです、その期間が長ければ長いほど、素晴らしい事になってくると言う事なんです。
 うなら黒字時代よりも、赤字時代の長いほど良い信心がでけると言う事になるのですから、その間に覚えなければならない事をです、少しばかり都合が良うなると、もう自分たちの才覚でおかげ頂いたように思う。おかげをおかげと思わなくなる。そのおかげをおかげと思わなくなる言こそ慢心である。だからそういう慢心の起こりようのない程しの信心をです、赤字時代に難儀な時代に頂かしてもろうて、俺んとこのおかげはもう1から10まで、神様のおかげなしにはでけとるもんじゃないぞと。
 それが今日の大繁盛につながるのぞと、思い、思い込ませて頂けれるおかげを頂く。それはあれもおかげであり、これもおかげでありあの言にもこの言にもお礼が言えれるという信心が、身に付いた時に初めて、神様も安心しておかげを下さる事が出来ると言う風に思います。信心しとるから決して立派な人間ばかりでは決してありません。それこそあんたが小さいけんてい、あんたが汚かけんてい、その汚い小さいいうならば、自分で自分の心に愛想が尽きるほどしのものをそこにはっきり見極めて。
 そこからならいくらかでも大きくならせてもらおう、少しでも美しゅうならせて頂こうと言う様なものをです、私は昨日のむつやのお宅祭りに見た感じが致しました。あの信心が続けられていく限り、ならどういうおかげを頂いてもです、今後俺のやりようが良かったけんとは言わないだろう。本当におかげを頂いて親たちの信心の徳があったればこそ、自分の今日までのこの信心が続けさせて頂いたんだ、おかげでと言う事になって来る。問題はこれからおかげを頂かなければならのです。
 昨日ご参拝になった方達は、私が今日皆さんに聞いて頂いたようなものを、感じられなかったでしょうか。なんともなしにこれから芽が出る、そんな私は感じで今日の御祭りを拝まして頂いた。そしていよいよ木の切り株に腰をおろしても、立つ時には礼を言う様な心持。昨日帰らして頂くときに、秋永先生が見えとりましたから、もう秋永先生の車で便乗させてもろうて、もう信司さんのもう後が忙しからよかろう、なら私があのおかげ頂きましょうというて秋永先生が下へ降りて、信司さんにそれを言うたら。
 いいえお送りするとが私がやっぱお送りせじゃこて、今まであんな実感的な事を、私は聞いた事がなら先生、お願いしますちゅうとったに違いないです。いいえ私が送りだけはさしてもらわにゃと言うそこにね、いうならば信司さんの信心が、いうならば少しでも前進しておるもの、そして昨日のお祭りに感じたものを感じました。そしてぎりぎり要はです、木の切り株に腰をおろしても、立つ時には礼をいうような心持がいよいよ冴えてくる。そういう心がいよいよ備わって来る一つおかげを頂いたら。
 私は昨日あちらへ参って参りましてから、お店の外に立たせて頂いて、見せてあの頂きながら感じた言でしたけれども、なんか去年よりも今年と言う様に、店の風格が出たねと言うて家内と話した事でした。そういうものはね例えば店の飾り付けが素晴らしくなった、そんなこつじゃないです。私が心に感ずると言う事はです、確かにその店にその家にです、やはり力が付きよると言う事なんです。これは結局まぁむつやさんだけの事ではありません。お互いの上にもです、去年よりも今年それはもうぎりぎり自分。
 汚い自分小さい自分そこから出発した、私は信心でなからなければもろいと思う。自分によか信心がでけたから、と言った様な事になって来るのです。そこからお育て頂く信心を頂く為には先ず、匹夫の凡人としての自覚がいります。だから物事が暇がいって時間がかかる。その暇がいって時間がかかるその時こそ、いうならば赤字時代が長いこそ、私は有り難い言である、その間に心の目も開けて来るだろう、その間に信心辛抱の徳が身に受けられると思います。
   どうぞ。